六条院ってどんなところ?
風俗博物館
六条院がどんな所か知りたい方は風俗博物館に行きましょう(^_^)。源氏物語の舞台となった六条院の中で、源氏が最愛の妻・紫の上と共に住んだ春の御殿(はるのおとど)が1/4スケールで展示されています。その模型の中では見事な室礼と王朝の衣装を身にまとった源氏物語作中人物が人形によって再現されています。また、室内を原寸大で展示しているコーナーもあって、ここでは中に上がって間近に見学したり袿を羽織って光源氏さま(等身大のお人形です)と記念撮影をすることもできます(^_^)。平安時代にトリップしたような気分になれます。
【開館時間】9:00 〜 17:00(日曜・祝日休館)
【所在地】〒600-8468 京都府京都市下京区新花屋町通堀川東入る(井筒南店ビル5F)
【交通】京都駅から市バス9番 西本願寺前下車徒歩3分(京都駅から歩ける距離です。)
源氏物語ミュージアム
源氏物語ミュージアムではなんと言っても、入ってすぐの所に展示してある実物大の牛車が圧巻です。ほかに平安時代の調度品のレプリカや六条院の縮小模型が展示されています。また胡蝶(こちょう)と迦陵頻(かりょうびん)の舞姿をした少年、それに大君(おおいぎみ)と中の君、彼女たちを垣間見する薫が等身大の人形で再現されています。もうひとつすばらしいのは映像シアターです。ホリヒロシ氏の人形を使い篠田正浩氏が監督した、宇治十帖のヒロイン・浮舟(うきふね)の物語はとても美しいです。
【開館時間】9:00 〜 17:00(月曜休館)
【所在地】〒611-0021 京都府宇治市宇治東内45-26
【電話】0774-28-0200
【交通】京阪電鉄宇治線宇治駅下車 徒歩約10分、または JR奈良線宇治駅下車 徒歩約20分
宇治十帖の世界を歩こう!
《散策ルート》
JR 宇治駅〜〜宇治橋〜〜夢浮橋(ゆめのうきはし)の碑〜〜橋姫神社〜〜縣神社(あがたじんじゃ)〜〜平等院〜〜宿木(やどりぎ)の碑〜〜塔の島・橘島〜〜宇治十帖モニュメント〜〜早蕨(さわらび)の碑〜〜宇治上神社(うじかみじんじゃ)〜〜総角(あげまき)の碑〜〜源氏物語ミュージアム〜〜蜻蛉(かげろう)の碑〜〜莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)陵〜〜手習(てならい)の碑〜〜椎本(しいがもと)の碑〜〜東屋(あずまや)の碑
※京阪宇治駅から歩く方が源氏物語ミュージアムに近いです。
※京都駅からでは JR が四条河原町方面からでは京阪宇治線を利用するのが便利です。
ここでは稲村が実際に歩いたコースに従って宇治の旧所・名蹟をご紹介します。まず、JR宇治駅から宇治橋を目指して歩きます。
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宇治橋 (うじはし)
架橋したのは古く、大化 2 年(646 年)のことです。洪水のため流出と再建を繰り返しており、現在の橋は平成 8 年(1996 年)に架け替えられたものです。宇治川上流に張り出している三の間は、豊臣秀吉が茶の湯の水を汲ませた所だと言われています。
宇治川は今でも水量が多く、浮舟がこの川の水の流れを怖がった気持がよくわかります。宇治橋のたもとに交番がありますが、そのすぐそばに『夢浮橋』の碑があります。
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夢浮橋 (ゆめのうきはし)
源氏物語 第五十四帖
この碑は宇治橋の西詰にあります。うっかりすると見落としそうな所にさりげなくありますので、よく気をつけて探してくださいね(^_^)。このあたりから宇治川に並行する平等院の表参道が始まりますが、今回は先に橋姫神社に向かいます。
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橋姫 (はしひめ)
源氏物語 第四十五帖
橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる(薫)
橋姫は宇治橋・宇治川の守り神です。祭神は瀬織津姫(せおりつひめ)で、この橋姫神社は明治 3 年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。境内には宇治十帖のひとつ『橋姫』の古跡と、橋姫と同じく水の神である住吉神社が祀られています。
橋姫については次のような伝説があるそうです。「嵯峨天皇の昔、瀬織津姫(橋姫)は裏切った恋人を怨むあまり 100 日間宇治川に身を沈めて鬼となり、憎む男女を喰い殺した。人々は姫を鎮めるために宇治橋の三の間に祭神として祀った。」この伝説のために橋姫は嫉妬・縁切りの神として名高いそうです。
橋姫神社の次は県神社まで歩きます。県神社は平等院の裏側にあります。橋姫神社ほどではありませんが、こちらもこぢんまりした神社です。
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県神社 (あがたじんじゃ)
県神社の祭神は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)です。この県神社は藤原頼通(ふじわらのよりみち)によって平等院の鎮守として建てられました。良縁祈願の神社として知られています。毎年 6 月上旬には暗闇の奇祭として知られている県祭が行われます。当日の夜 11 時過ぎには梵天渡御(ぼんてんとぎょ)が行われ、雌獅子、雄獅子、梵天に飾られた御輿を担ぐ人々が宇治橋周辺を練り歩きます。
今回歩いたルートでいけば平等院へは南門入口から入るのが近いのですが、この時ちょうど工事中だったため門は閉鎖されていました。ぐるっと大回りして表門から入りました。
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平等院 (びょうどういん)
10円玉のデザインで有名な平等院です。
元々は光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の別荘のあった所です。後に関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)が譲り受け、永承7年(1052年)に道長の息子・頼通(よりみち)が寺院に改めました。
阿弥陀堂は平等院創建当時から残っている建物で、左右に翼廊を伸ばした姿が鳳凰に似ていることや実際に屋根に鳳凰をのせていることから、鳳凰堂と呼ばれています。前面に広がる池の反対側から望むと堂内に安置されている阿弥陀如来像のご尊顔を拝することができます。意図的にそういう風に作ってあるのだそうです。付属の宝物館は春と秋のみの開館です。以前、藤の季節に訪れたことがあるのですが、とてもきれいでした。庭園の中には樹齢200年の藤もあるそうです。
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宿木 (やどりぎ)
源氏物語 第四十九帖
やどりきと思ひいでずは木(こ)のもとの 旅寝もいかにさびしからまし(薫)
荒れ果つる朽木(くちき)のもとをやどりきと 思ひおきけるほどの悲しさ(弁の尼)
上記の薫と弁の尼の歌から題名が取られた帖です。この碑は平等院から宇治川沿いに少し上流に上った所にあります。
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塔の島・橘島
源氏物語 第五十一帖 浮舟
年経(ふ)ともかはらむものか橘の 小島のさきに契る心は(匂宮)
橘の小島の色はかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ(浮舟)
薫が留守の雪の日、匂宮に連れ出され舟で宇治川を渡った時に橘の小島に託してふたりが詠み交わした歌です。塔の島の方には十三重石塔が、橘島の方には宇治川先陣の碑があり、このふたつの島は橋でつながれているのでそのまま宇治川の対岸に渡ることができます。橘島にかかる朝霧橋を渡った所に宇治十帖モニュメントがあります。
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宇治十帖モニュメント
男女が寄り添った姿のモニュメントです。女性は浮舟なのでしょうが、男性の方は誰なのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。パッと見た私の個人的な印象としては匂宮だと思いました(^_^;)。
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早蕨
(さわらび)
源氏物語 第四十八帖
この春はたれかに見せむ亡き人の かたみに摘める峰の早蕨(さわらび)
上記の中の君の歌から題名が取られた帖です。
早蕨の碑のそばには莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀った宇治神社があります。宇治神社と後出の宇治上神社はもとはひとつの神社だったのですが、明治維新後にふたつに分けられました。碑の周辺には春になるとわらびが萌え出るそうです。
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宇治上神社 (うじかみじんじゃ)
応神天皇(おうじんてんのう)の末の皇子・莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)を左殿に、応神天皇を中殿に、皇子の兄・大鷦鷯皇子(おおさざきのみこ:仁徳天皇)を右殿に祀っています。藤原氏が平等院を建立した後、特に崇敬を集めるようになったそうです。縋破風(すがるはふ)と呼ばれる軒構成の拝殿は非常に優美な姿をしており、国宝にも指定されています。境内に宇治七名水のひとつ・桐原水が湧いていて、これは七名水のうち唯一現存するものだそうです。なおこの宇治上神社は世界文化遺産の指定も受けています。
早蕨の碑から総角の碑までの道を『さわらびの道』と言い、途中に与謝野晶子の歌碑があります。
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総角 (あげまき)
源氏物語 第四十七帖
上記の薫の歌から題名が取られた帖です。その昔、宇治離宮があった所とも言われているそうです。
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源氏物語ミュージアム
ズバリ源氏物語の博物館です。写真はミュージアムの中に展示されている「大君・中の君を垣間見する薫」の等身大の人形です。垣の向こう側には琴を弾く大君と琵琶を弾く中の君も再現されています。また、こちらのミュージアムでは映像シアター以外の展示物の写真撮影がokでした。イラストを描く時の資料にしたかったので、とてもありがたかったです(^_^)。ミュージアムショップには雅な源氏物語グッズやお香なども販売されています。訪れた当時、ミュージアム自体のパンフレットがなかったのが残念でした。
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蜻蛉 (かげろう)
源氏物語 第五十二帖
ありと見て手には取られず見ればまた 行方も知らず消えし蜻蛉(かげろふ)
行方の知れない浮舟を思って詠まれた、上記の薫の歌から題名が取られた帖です。この碑の正面には阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が彫られているそうなんですが…風化がひどくて識別できませんでした。
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莵道稚郎子陵 (うじのわきいらつこりょう)
莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は応神天皇に愛され、末子でありながら成人した兄たちを飛び越えて皇太子に指名されました。応神天皇はその決定を下す前に大山守皇子(おおやまもりのみこ)と大鷦鷯皇子(おおさざきのみこ)を呼び、ふたりに「年の長けた子と年の行かない子とどちらが可愛いか」と含みを持たせた質問をしました。大山守皇子は自分が天皇になりたいと野望していたので、「年の長けた子の方が可愛い」と答えましたが、大鷦鷯皇子は応神天皇の心を察し「小さい子の方が可愛い」と答えました。天皇は大鷦鷯皇子の言葉を喜び、莵道稚郎子を皇太子にすると、大鷦鷯をその補佐に着けて政治をとらせましたが、大山守の方は冷遇しました。これを怨んだ大山守は応神の死後反乱を起こし、軍を稚郎子の宮のある宇治に進めましたが、宇治川を渡る途中、稚郎子が変装して紛れ込んでいた川の渡し守たちに謀られて、川の中程で水の中に落とされ溺れ死んでしまいました。大山守の乱鎮定後、莵道稚郎子と大鷦鷯皇子との間で皇位の譲り合いがありましたが、莵道稚郎子の自殺(または早逝)によって、大鷦鷯皇子が即位しました。
大鷦鷯皇子とは仁徳天皇のことです。
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手習 (てならい)
源氏物語 第五十三帖
…言われてみるまで気がつきませんでしたが、この碑は手習いで使う筆の穂先のような形をしているのだそうです。
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椎本 (しいがもと)
源氏物語 第四十六帖
立ち寄らむ蔭とたのみし椎本 むなしき床(とこ)になりにけるかな
上記の薫の歌から題名が取られた帖です。
諏訪明神を祭神とする彼方神社(をちかたじんじゃ)の中にあります。神社と言っても橋姫神社同様とても小さな所です。彼方神社はかつては宗像の神を祀っていたこともあるそうです。
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東屋 (あずまや)
源氏物語 第五十帖
さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな(薫)
お恥ずかしい話ですが、この旅行ではデジカメの容量が足りなくて東屋の碑(実は碑じゃなくて聖観音像なのですが)の写真が撮れませんでした(;_;)。うっうっうっ、せっかく来たのに…(涙)。
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浮舟 (うきふね)
源氏物語 第五十一帖 上記の浮舟の歌から題名が取られた帖です。
お間抜けな私(と主人)は道を間違えてしまい、折しも日はまさに西に沈まんとしているしで、結局浮舟の碑までたどり着く事ができませんでした(T_T)。浮舟の碑は三室戸寺の境内にあって、地図で見るとけっこう山の中(っぽく見える)。日が暮れてから山の方へ登っていく元気はありませんでした(^_^;)。