■思うこといろいろ■

 現在このページに載せているイラストは、以前「古代日本」のページに載せていた中から中大兄皇子に関係ある物をセレクトしたものです。天智天皇〜持統天皇、そして奈良朝へと、これらの時代にも興味はすごくあるのですが、なかなか読書も知識も追いつかない状態でいます。まだまだ数が少なくイメージだけの絵が並んでおりますが、ご覧いただければ幸いです♪




■イラスト■

かつらぎのみこ
葛城皇子 52kb
 中央セミヌードなのが葛城皇子(中大兄皇子)です。手前が中臣鎌足(なかとみのかまたり)、奥が大海人皇子(おおあまのみこ)です。「このくにをかえるぞぅっ!」と結盟しているところでしょうか(笑)。今、ちょっと思ったのですが、以前は蘇我入鹿(そがのいるか)って脂ぎったやな親父のイメージがあったのですが、最近はけっこう好男子なイメージを持っています。イメージが変わった理由は特にないのですが。

はしひとのひめみこ
間人皇女 57kb
 父は舒明天皇(じょめいてんのう)、母は宝皇女(たからのひめみこ:後の皇極・斉明天皇)です。いろいろ異説はありますが、同母の兄に中大兄皇子、弟に大海人皇子(おおあまのみこ)がいます。大化改新の後、中大兄皇子が若くして政治の実権を握り、宝皇女の弟・孝徳天皇を傀儡として擁立するのですが、兄のために叔父・孝徳天皇の皇后となりました。(有間皇子の義理の母ということにもなります。)間人皇女は同母兄の中大兄皇子と男女の関係にあったと言われ、彼女の死に際して中大兄皇子はその菩提を弔わせるために 330 人もの人々を得度させました。

なかとみのかまたり
中臣鎌足 42kb
 はじめ中臣鎌子(なかとみのかまこ)、次に中臣鎌足、最後に天智天皇から藤原姓を下賜されて藤原鎌足(ふじわらのかまたり)となりました。言わずとしれた藤原氏の始祖です。中大兄皇子のブレーン。(経歴についてはよく知りません(^_^;)。書紀をちゃんと読まなきゃ。)な〜んにも考えずに鎌足のイラストを描いたらこの絵になりました。小太りで人好きのする風貌、愛想が良いけれど目は笑っていない…というのが実は私の鎌足像だったのですが…。どうしてこうなっちゃったんだろ?(^_^:)

おちのいらつめ&おおたのひめみこ
越智娘&大田皇女 57kb
 1994年6月作。越智娘は蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の娘で、中大兄皇子がまだ皇子でいる早い時期にきさきとなり、後に天武天皇の妃となる大田皇女と讃良さま(後に天武皇后、さらに後に持統天皇)、そして建皇子(たけるのみこ)を産みました。書紀にははっきりと名前が出ていませんが、石川麻呂の娘と中大兄の婚姻が整った夜、花嫁となるはずの長女は一族の身狭臣(むさのおみ:蘇我日向のこととも言われる)と駆け落ちしてしまい、越智娘が自らその身代りを名乗り出たのでした。皮肉なことに蘇我日向(そがのひむか)の讒言により、父は夫の中大兄によって殺され、越智娘は心を破って亡くなりました。



Last modified: Mon, 27 Jan 2003 11:42:46 +0900