日輪寺
Last modified: Fri, 14 Dec 2001 12:43:52 +0900


日輪寺


  1. 伝説
  2. 所在地


『時宗』『神田山』の文字が見える

 鎌倉時代、将門の滅亡(天慶3年:940年)から三百数十年後の1303年、時宗の真教上人が将門塚を訪れた時、塚は荒廃し、付近の村には疫病が蔓延しており、これが将門の祟りだと恐れられていました。真教上人は将門に『蓮阿弥陀仏』という法号を追贈して塚を修復し、供養したところ疫病がやみ、喜んだ村人たちは上人に近くにある日輪寺に留まってもらうこととしました。真教上人は天台宗だったこの寺を時宗の念仏道場としました。

 1307年に真教上人は将門の法号を石板に刻み、塚の前に建てました。さらにその翌々年には旧・安房神社の社殿を修復し、将門の霊を合祀して神田明神としたことが日輪寺の記録にあったそうです。同時に日輪寺も『神田山日輪寺』と改名し、両社とも将門の霊を祀る所となりました。ところで、当時、首塚・日輪寺・神田明神のあったこの芝崎付近は湿地帯で、対岸の駿河台や本郷とは川で分けられておりました。駿河台あたりは小高い山をなしており、当時から神田山と呼ばれておりました。神田山は『からだやま』、すなわち将門の胴体部分を埋めた山という意味だそうです。
 その後、神田神社(神田明神)も日輪寺も現在の場所に移転しました。

 なお、現在、将門の首塚に建てられている石塔婆は、上述の真教上人の建てたものから取った拓本を元に復元したものだそうです。


参考:『史跡 将門塚保存会』発行