シビュラは、太陽神アポロ(アポロン)の神託を告げる巫女です。トロイア戦争の勃発を予言した予言者でもあり、ローマの祖・アエネアスを冥界に案内して彼の亡父アンキセスに会わせ、やがて彼の子孫たちが作るはずのローマの未来を見せたりもしました。
さて、古代ローマにはローマの国家の大事に関する予言書と言われている『シビュラの書』なるものが伝わっておりました。カエサルが王位を熱望しているものとして、共和政主義者たちの憎悪をかきたて、遂にはカエサル暗殺にまで駆り立てた最大の原因をもたらしたものです。『Venus Victoricus Vol.1』の『女神の末裔』の中でも触れましたように、この時代のローマ人は信仰と言っていいほどに『共和政』という政体を理想的なものと信じ、それを実現した自分たちの歴史を誇りにしていました。だから、独裁者やかつて自分たちが打倒した王などというものには、極端なアレルギー症状を起こすのです。ところが、この『シビュラの書』には「王をいただいてローマ軍が進軍するならばパルティアは征服されるが、それ以外の方法ではけして征服することはできない」という風に書かれているという噂が流れたのです。
紀元前44年の初めに、カエサルはかねてからの懸案事項であったパルティア王国への遠征に3月18日に出発することを発表しました。パルティアはティグリス・ユーフラテス川を擁した強大国で、第一次三頭政治において、カエサル・ポンペイウスとともに一頭を成したクラッススが敗死させられた相手です。カエサルがガリア戦争中に、父以上の才能を認めてかわいがっていたクラッススの息子も、この戦いの中で父とともに戦場に消えていました。この時パルティア軍の捕虜となった一万のローマ兵は、辺境の地で過酷な終身労働に従事させられていました。敗北の恥辱は再戦の勝利によってすすがなければならないのがローマ軍の伝統です。それにもましてカエサルの念頭にあったことは、パルティアとの国境線を確立しておかない限り、たとえローマの内乱を終結させたとしてもローマの安寧は望めない、という見通しでした。しかし、前述の噂のために『パルティア遠征=王位獲得』というイメージが即座に結び付き、ローマ市民たちのカエサルに対する憎悪が肥大していったのでした。
また、その年の2月15日のルペルカニアの祭(これは農産物・家畜の保護者であるファウヌス(パン)神に捧げる祭で、名門の若者が裸で市内を駆け抜け、出会う者を犠牲に捧げた山羊の皮から作った皮紐で打ちました。懐妊や安産に効くと信じられていたので、婦人たちもすすんで打たれようとしたそうです)では、アントニウスが祭司のひとりだったのですが、彼は群衆が集まっていた中央広場に駆け込むと、カエサルの前に進み出、王冠を模した月桂冠を彼に捧げたのでした。群衆から賛意を示す拍手はほとんど上がらず、カエサルを王とするこの試みは失敗し、以後何度か繰り返される類似の演出もすべて失敗しました。カエサルの指示だったのか、それともアントニウスの先走りだったのか(私はこっちだと思います。いかにも軽薄なアントニウスの考えそうなことじゃないですか)は定かではありませんが、これらの出来事によってローマ市民たちは「カエサルの王への野心は事実である」と確信し、3月15日の終焉の日に向かって、彼らの憎悪は凝縮されていったのでした。