紀元前54年、第一次三頭政治の一頭ポンペイウスに嫁していたユリアが亡くなりました。彼女はカエサルのひとり娘で、享年いまだ27歳という若さでした。ユリアが自分の命と引き替えに産んだポンペイウスの子供も、彼女の死後数日と生きることはできませんでした。
ポンペイウスは政略結婚だったにも関わらずユリアを愛しており、彼女を失った時にはたいそう嘆き哀しんだそうです。おそらくユリアは、父カエサルの人に好かれる気質をよく受け継いでおり、聡明で機知に富んだかわいらしい女性であったのだと思います。ポンペイウスも政治抜きにこの妻に満足していたのだと思います。
ユリアの死に対するカエサルの哀しみは、ポンペイウスにも増して大きいものでした。カエサルは娘の訃報をガリアで受け取りました。彼はあの名著『ガリア戦記』で有名なガリア戦争の真っただ中にありました。ユリアの死の知らせが届いたのはブリタンニア(現在のイギリス)遠征からガリアに戻った直後のことでした。
ユリアの遺体は護民官の反対があったにも関わらず、民衆の手でマルス広場に運ばれ、そこに埋葬されました。マルス広場は本来のローマ市域の外にある、ティベリス川に接した広場です。ここは軍神マルスに捧げられた聖場で、昔から練兵場や民会の議場に使われていました。
同じ紀元前54年にはカエサルの母アウレリアも亡くなっており、カエサルは数少ない身内を立て続けに失ってしまったのです。
翌年には、常々カエサルの便宜を図ってくれていた三頭政治のもう一頭クラッススがパルティア遠征で大敗し、戦死しました。ユリアの死で綻びの入ったポンペイウスとの絆が、これで完全に切れてしまうことになりました。
ウェルキンゲトリクス(拙本『夢がたみ2』収録の『時の娘』の中にちょっとだけ登場しています)という稀代の英雄を頂いて大蜂起したガリアを鎮圧するため、ガリアにとどまらざるを得なかったカエサルを尻目に、元老院とポンペイウスは手を結び、ローマの政情はまたたくまにカエサルにとって不利になっていきました。そして、紀元前49年1月12日、ユリアが死んでわずか 5 年後、遂にカエサルは軍隊を率いてルビコン川を渡ったのです。ローマは内乱に突入しました。
時は去り、カエサルの手で内乱が一時終息した時、カエサルのベテラン兵たちはマルス広場に集結していました。クラッスス敗死以来の宿願であったパルティア遠征に、カエサルはガリア戦争以来ずっと彼の下で働いてきた兵士たちを連れていくつもりはありませんでした。彼らの長年の労をねぎらって土地を与え、退役させたのです。しかし、「どうしても」と志願した兵たちがマルス広場に集まっていたのでした。紀元前44年 3月15日、元老院の議場(ポンペイウス回廊)でカエサル暗殺さるの報が届いた時、さしも勇名を馳せた彼らも、忠誠を誓い敬愛し続けた彼らの最高司令官の突然の死に、呆然自失となりました。たぶん初めはその事実を信じることができず、次には世界が終ったかのような絶望を感じたのではないかと思います。
ルビコン渡河から暗殺に至るまでのカエサルの心情を想像すると、私は涙が止まりません。見えすぎる人というのは真に孤独なのだと私は思います。