ウィクトリアはギリシャ神話ではニケに相当する女神です。知性と戦いの女神・ミネルウァ(アテナ)に付き従い、彼女が決定した勝利を告げるために天を翔けて戦場を訪れる勝利の女神です。(ローマでは軍神マルス(アレス)の評価が高かったせいか、マルスにも付き従うとされています。)通常、シュロの葉または月桂冠とともに翼を持つ姿で表わされます。
紀元前48年8月9日(カエサル52歳)、カエサルとポンペイウスの最後の決戦・ファルサルスの戦い(ギリシャ)の時に、小アシアの各地でカエサルの勝利を告げる前兆があったという話が伝わっています。カエサルの著作『内乱記』の中でも言及されているものを挙げて見ましょう。
エリスという街にあるミネルウァ神殿では、ミネルウァと向かい合って立っていたウィクトリアの像が、カエサルが勝利をおさめたちょうどその日に、神殿の玄関の方に向きを変えました。
シリアのアンティオキアとプトロマイスでは、軍隊のどよめきとラッパの音が高らかに響き、ペルガモンでは神殿の聖域内で太鼓の音が響きました。(神殿の内部で響く音は、神意を告げるものと思われていたようです。)
そして、数あるカエサル勝利の前兆についての逸話の中でも、特に際立っていたのがトラレスのウィクトリア神殿において起こった出来事です。この勝利の女神の神殿には、その地の市民たちによってカエサルの像が奉献されていましたが、その傍らの石畳の間からシュロの木が生えてきたというのです。この話はプルタルコスの『英雄伝』の中でも触れられています。
ウィクトリアは、軍事的能力と政治的能力を不可分のものとして高く評価していたローマ人の間では、非常に愛された女神です。カエサルはウェヌス女神(アプロディーテ)の子孫だということを強くアピールしていましたが、ガリア戦争以降にはウィクトリアに愛されているということも強調していたようです。
ポンペイウスの死後、カエサルはかつてのスッラと同じように独裁官になりましたが、スッラの恐怖政治とは全く違う姿勢でローマ市民に向かうことになります。『寛容・仁慈』が彼の基本的な姿勢でした。スッラが自分に味方した者以外をすべて敵と看做して粛正したのとは正反対に、カエサルは実際にポンペイウスの将兵として敵対し、彼の軍と剣を交えた者さえも赦しました。通常こういう場合には助命されただけでもラッキーで、財産を没収されたり公職から追放されたりしても文句は言えなかったのですが、カエサルはこれらについては一切不問に付し、財産は保証、公職につくことも認め、反対派のリストにさえも目も通さずに焼き捨てました。これらのことから、元老院と市民集会は、カエサルの基本的政治姿勢である『寛容・仁慈』の精神を神格化した『寛容の女神』の神殿を建てる栄誉を、カエサルに与えたのでした。
ちなみに『ローマ人の物語v』(塩野七生/新潮社)によると、ローマの主神は最高神ユピテル(ゼウス)・ユピテルの妻ユノ(ヘラ)・ミネルウァ(アテナ)の三神にすることが、カエサルによって定められたそうです。