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Last modified: Tue, 12 Mar 2002 15:17:01 +0900
〜伊勢の斎宮とは〜

Illustrated by Inamura Kaori.
不破内親王

斎王一覧 (←Click すると「斎王一覧」が表示されます。)

斎宮のはじまり (参考:『日本書紀』岩波古典文学大系)

 時は崇神天皇(すじんてんのう)の頃、天照大神(あまてらすおおみかみ)は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)と共に、宮殿の中に祭られていました。けれど二柱の神を同じ場所に祭ることは不都合が多かったため、天照大神を倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に移して、崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祀らせることとなりました。これが『斎王』の始まりです。斎王は神の依代(よりしろ)でもあることから、『御杖代(みつえしろ)』と呼ばれることもあります。

 垂仁天皇(すいにんてんのう)の時、老齢となった豊鍬入姫は斎王の任を退き、垂仁天皇の娘・倭姫命(やまとひめのみこと)がその後を継ぎました。この倭姫は日本古代の英雄・ヤマトタケルの叔母にあたります。彼女は天照大神を鎮座させる場所を求めて、宇陀(うだ)〜近江〜美濃を巡り、遂に伊勢の国に至りました。ここで初めて天照大神が満足の意を表わしたので、この国に社を建て(伊勢神宮の始まり)、斎王が忌みこもるための宮を五十鈴川のほとりに建てました。これが『伊勢の斎宮』の始まりです。

 『斎宮』といえば、本来は『斎王のための宮(都における天皇の宮のようなもの)』を意味していましたが、後には『斎王』自身を指すようにもなりました。なお、この『斎宮制度』は伝説の時代を除くと、天武天皇(てんむてんのう)皇女・大来皇女(おおくのひめみこ)から始まって南北朝に廃れるまでの約660年間続いたそうです。

斎王の任期 (参考:『斎宮物語』中野イツ・著)

 天皇の代替わりがあると伊勢の斎王も交代します。斎王は皇族の未婚の姫(天皇の娘とは限りません)の中から占いで選ばれます。大体が母親の身分が低かったり、寵愛が薄かったりするので、占いで決めるといっても、あまり公平な選び方ではなかったようです。

 斎王が任を終えて都に帰ることを退下(たいげ)と言います。天皇が死んだ時、または譲位した時に斎王の任が解かれます。また斎王の父が天皇以外の場合には、両親のどちらかが死んだ時に任を解かれます。身内に犯罪者が出た時や自分が罪を犯した時(特に男性と通じた時)には、『事故』とされ不名誉な形で都に連れ戻されます。

Illustrated by Fujimoto Kyoko.
古代の巫女

斎王の決定から群行(ぐんぎょう)まで
(参考:同上、『女官通解』浅井虎雄・著/講談社学術文庫)

 卜定によって斎王が決定すると、勅使(ちょくし)がその内親王または女王の邸に遣わされ、その旨を告げます。この時、神祇佑(じんぎじょう)以上の役人1人が配下を率いて勅使に同行します。
 斎王に卜定された姫君の邸では、卜部(うらべ)が清めの儀式を行い、神部(かんべ)が木綿(ゆう)を榊につけて邸の四方および内外の門に立てます。これはその邸の姫が斎王に選ばれたという印です。私見ですが俗界と聖域を分かつ結界でもあったろうと思います。
 その後、百官が朱雀門(すざくもん)の外で大祓(おおはらえ)を行います。それから伊勢神宮に人を遣わして斎王が決まった事を告げさせます。日を決めて斎王が鴨川で禊を済ませ、初斎院(しょさいいん)に入ります。

 最初の年、斎王は宮中に設けられた初斎院で身を清めます。初斎院は常設の殿舎ではなく、例えば徽子女王(よしこじょおう)が雅楽寮(ががくりょう)を初斎院としたように、宮中の便宜の場所を使用しました。初斎院に入る時期は特に規定されてはいませんでしたが、8月ないし9月が多かったようです。
 およそ1年の間、初斎院で潔斎した斎王は、翌年の8月または9月頃再び鴨川で禊を行います。禊に先立って、行禊前後次第司(ぎょうけいぜんごしだいし)が設けられ、長官・判官(ほうがん)・主典(さかん)が任命されました。そして、禊の前日には建礼門(けんれいもん)の外で大祓が行われました。鴨川での禊が済むと、斎王はいよいよ野宮(ののみや)に入ります。

 次の年の丸1年間は、野宮で静かで簡素な生活を送ります。そして、3年目の9月吉日を卜して、斎王は伊勢へと旅立ちます。
 まず斎王は川で禊を行ないます。その後、斎王は輿に乗って宮中に入り、大極殿で待つ天皇のそばに設けられた座に着きます。ここで発遣(はっけん)の儀式が行われます。天皇は斎王の前髪に『別れの小櫛(わかれのおぐし)』(または『別れの御櫛(わかれのみぐし)』)を挿すと、「都の方へ趣き給うな」という別れの言葉を告げます。『別れの小櫛』を挿した後は、互いに見返らないことになっていました。

 斎王が行列を揃えて都から伊勢まで行くこと、そして任を終えて伊勢から都へ帰ることを『群行(ぐんぎょう)』と言います。『別れの小櫛』は群行の最初の宿・近江国府ではずされます。


Illustrated by Inamura Kaori.
斎王と命婦

斎宮の行事 (←Clickすると「斎宮の行事」一覧が表示されます。)

 斎宮関係の仕事を司る役所を斎宮寮と言います。現在、発掘の続いている斎宮遺跡を見ると、非常に規模が大きかった(約140ha)ことがわかります。

 斎宮における年中行事は、1月1日の神宮遥拝に始まり、農耕関係の行事や宮中に準じた行事、また斎宮を清めるための行事など、多くのものがあります。毎月ついたちには、忌火(いみび)・庭火祭(にわびのまつり)という清浄な火を祭る行事があります。

 斎王が伊勢神宮に赴くのは年に3回、6月と12月の月次祭(つきなみのまつり)と9月の神嘗祭(かんなめのまつり)の時だけです。これらは三節祭(さんせつさい)と呼ばれる重要な祭祀でした。


★忌詞(いみことば) (参考:『巫女の歴史』山上伊豆母・著/雄山閣)

 斎宮関係者が守らなければならないもの忌みのひとつです。
 忌詞には三種類あります。『内の七言』『外の七言』『別の忌詞』です。忌詞というのは、簡単に言えば言い替えのことです。括弧内のひらがなは忌詞の読み方で、:の右はその意味です。

『内の七言』
 中子(なかご:仏)、染紙(そめかみ:経)、阿良良伎(あららき:塔)、瓦葺(かはらふき:寺)、髪長(かみなが:僧)、女髪長(めかみなが:尼)、片膳(かたしき:斎(とき))
『外の七言』
 奈保留(なほる:死)、夜須美(やすみ:病気)、塩垂(しほたれ:泣く)、阿世(あせ:血)、撫(なづ:打つ)、菌(くさひら:宍(しし))、壌(つちくれ:墓)
『別の忌詞』
 香燃(こりたき:堂)、角筈(つのはず:優婆塞(うばそく))